あなたと
巡り合ってほしい
歴史と場所

こい旅横浜
koitabi yokohama

横浜中華街には、
歴史がある。

異国情緒あふれる横浜中華街。
あなたを迎え入れるのは、懐かしい歴史の跡。

大事な誰かと横浜中華街を歩きながら、
肌で歴史を感じるひと時を。

街に恋して、あなたに恋して
歴史に出会う、濃い旅を。

こい旅横浜
素敵な横浜中華街巡りをしちゃおう!

さあ、巡っちゃおう。

横浜中華街を知ることができる10スポット

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さて、誰と巡ろう?

MISSION

横浜中華街を全力で楽しめ

ゆらめく炎に、願いを込めよ

商売繁盛、家内安全など様々な祈りを込めながら、蝋燭や線香を供える中華街の名所を知っていますか。
この名所を見つけて、写真のように参拝した記録を残してみよう!

#KOITABICHINATOWN

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見たことあるかな?
横浜中華街の小さなヒミツ

珍しい横浜中華街の一面を見つけたら
シャッターチャンス!

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横浜中華街の歴史

1859年、横浜の港が開かれると、現在の山下町と日本大通り一帯に外国人居留地が設けられ、世界各地の人々が訪れました。広東・香港・上海などから中国人が横浜を訪れ、貿易や洋裁・洋館建築など西洋人の暮らしを支える仕事を始め、これが横浜中華街の基礎となりました。
20世紀初頭には華僑は5,000人に達するまでになりましたが、関東大震災が襲い、横浜中華街は壊滅的な打撃を受けました。一時は200人あまりに激減した華僑も、昭和初期には3,000人余りに回復。しかし、今度は戦争が起こります。華僑は厳しい生活を強いられたうえ、1945年の横浜大空襲では横浜中華街が一面火の海となりました。
戦後の復興は闇市から始まりました。1955年には初代の牌楼(ぱいろう)が建ち、高度経済成長を背景に街は発展し、1972年の日中国交正常化を追い風に、中華料理店が建ち並ぶ全国的に知られる観光地となりました。
21世紀に入ると10の牌楼や横浜媽祖廟が完成し、魅力はより充実しました。コロナ禍という苦難も乗り越え、再び新しい歴史を刻んでいます。

 横浜開港資料館は、横浜開港100年を記念して編纂された「横浜市史」の収集資料を基礎として、昭和56年(1981)6月2日の開港記念日に開館しました。
当館は、安政元年(1854)に江戸幕府とアメリカのペリー提督が日米和親条約を締結した由緒ある場所に建っています。中庭にある「たまくすの木」は、ペリー来航当時からこの地で横浜の歴史を見続けてきた生き証人であり、横浜市の地域史跡に指定されています。また当館の旧館は昭和6年(1931)に建てられたイギリス総領事館(横浜市指定文化財)の建物を活用しています。
日米和親条約に続いて、安政5年(1858)に欧米5ヶ国とのあいだで修好通商条約が締結されると、安政6年(1859)6月、横浜(神奈川)が外国貿易のために開港しました。新しく整備された街には国内外から多くの人びとが移り住み、横浜は日本を代表する国際貿易都市として発展していきます。
横浜開港資料館は、この間の横浜の歴史を明らかにすることを目的に設立され、これまで40年にわたって、幕末から昭和初期にかけての横浜に関する歴史資料を収集・保存し、閲覧に供するとともに、調査研究の成果を展示・出版などのかたちで公開してきました。当館は、資料を通じて横浜のあゆみを次の世代に伝える「近代横浜の記憶装置」としての役割を担っています。